karin: February 2011アーカイブ



会社設立に向けて事務所を見てきた。



立地は駅近。どれくらい近いかと言うと電車の音が事務所内に響くほど。上京後に住んだアパートも似たような環境だったことを思い出した。つくづく電車の騒音に縁があるらしい。予算は多少オーバーしてるけれど、それ以外は概ね満足。



案内してもらった不動産屋の人に事業の説明をしていたら、予想外に目を輝かせててびっくりした。好青年な印象をもたれたようで、なかなか上手くいきそうな予感。



そして、会社の関係部署にも正式に辞めると伝えておいた。反応が薄いから面白くなかったけど。たぶん社内の噂で知ってたんだろうな。興味ないから無関心だし、互いに干渉もしない。だから、きっと今の会社で誰かが潰されたって同じような反応に決まってる。




「ああ、そう。」




そんな感じだよ。3年勤めてもね。



最初は「この会社の信頼を回復させる」みたいな意気込みだったけど、失われた信頼を取り戻すのは困難すぎた。信頼が回復基調にあったって、一度のつまんないミスであっけなく崩壊する。人間誰にだって失敗はあるし、それを許容できる社会であって欲しいと願ってるけど、器の小さいバカとか、責任を気負いすぎてるバカとか、逆に無責任な発言するバカとか、とにかく犠牲が多すぎた。



ほんとに社会はバカばっか。自分も同じようにバカなんだけど、それならバカに振り回されないで、自分の信念に従って生きる方がいい。自分の命は1つしかないのだし、起業して派手にすっ転ぶのも良いと思う。それで自分のバカが治るかも知れないしな。




つまり起業は人をつくりだすことに似てる。性別は男の子なのかも知れないし、女の子なのかもしれない。たぶん、自分がつくる法人の設定は女の子なんだろうな…とか考えてみたり。



それとは無関係に、兄家族に子供が産まれるらしい。子孫を残すという目的は兄により達成されたので自分が子孫を残さなくても、血は受け継がれていくので気が楽だ。兄は子をつくることで子孫を残し、弟は法人をつくることで子孫を残す。そんな分業体制。子供と法人の出産が5月か6月に重なってあたふたするみたいだ。



つまり今はどちらも妊娠期間で、マタニティブルーという言葉があるくらい感情に起伏があるんだろうな。期待と不安が交互に、または同時に襲ってくる。



そんなときに、IS〈インフィニット・ストラトス〉のOP「straight jet」の歌詞が自分の環境にリンクして聴こえて良かった。作品内容も好きだし、上手くブログで扱える展開があるといいな。もし書くとしたら「仲間を信頼する絆」かな。仲間との絆って素晴らしいものだけど、現実では信頼されたチームワークってほとんどない。そういう互いを信頼する絆を作り出せたら良いなと思って起業に踏み切ったという説がないこともないけど。



で、これまでの話と関係なしに、前の会社の仲良しの女の子と再会する夢を見てしまって気が滅入った。どんだけ引き摺ってんだよ。たまたま背の低い女性を見かけただけで夢に見るとか、どんだけナイーブなんだよ。そういうマタニティブルーみたいな。




恐怖に感じることがある。



もし自分が起業したとしても、誰からも必要とされてないんじゃないかと思うときがある。資金があるわけでもないし、人脈もあるとは言い難い。悪いほうに考えが転ぶと、自分が居なくても社会は何事もなく回るのだし、自分がやろうとしていることも他の誰かがきっとやるだろう。そう考えていくと起業しなくても別に誰も困らないと結論が出るわけだけど。



でも、きっと今まで自らの意志で起業してきた人間も同じようなことを考えてただろうなと思った。松下幸之助も本田宗一郎も同じ経験をしただろうなと考えると少し面白い。身近なとこだと、自分の父親もおじさんも起業してるわけだし。



不安に押しつぶされそうなときに心の支えになるのは、自分を信じてくれた人たちの存在。それこそ、度々話題にする前の会社の女の子だったり、今の会社で辞めてしまったけど仕事を振ってくれた女の子だったり…。



辞めた女の子は手紙という、あえて残る形で応援のメッセージをくれた。きっと、そのときの自分はそれほど感謝することも無かったけど、便箋を買って、相手を想って、文字で起こして…という手間隙を考えると、すごく感謝しなければいけない。


辞めた女の子の話 - 迎撃blog




『人を疎んじる者は、人から疎まれる人生を送る』



きっとそういう言葉を胸に刻んで生きないといけないんだ。



で、そんなことを考えてたら「会社を辞めること」を噂で聞きつけたのか、会社の女性から声をかけられた。いや、正確に言うと書いてきた。白紙のメモ用紙とペンを奪い取られて何かを書き始めた。




(あのね、ちょっと話したいことがあるんだけど・・・こんど、時間つくって話しない?)




女性恐怖症なので、「うーん、無理かなー。」とか反応を鈍らせて、お昼に一緒に行くかどうか相談したりもしたのだけど都合が合わなかった。そして翌日の今日、疎んじない決心をしたので声を掛けてみた。




「あの件だけど、今日なら大丈夫?」


「うーん…今日はちょっと無理なんだよねー。ごめんねー」




断られた。あとで別の日用意しようねと声を掛けられたけれど。何のフラグだよ!その女性は初対面で「一番自分と合わない人だ」と思った相手で、年齢も自分より上だし何の対象でもない人だけど…何なんだよマジ。





生徒会の一存 第12話『生徒会の一存』より引用



「あなたに足りないものはね…主人公精神。


恋愛シミュレーションをやりなさい。ああいうゲームの主人公は女の子みんなを幸せにするでしょ?そういう気持ちを学ぶべきよ」



生徒会の一存



杉崎に対して会長が言うセリフ。



恋愛シミュレーション云々はおいといて、この「主人公精神」というのは良い言葉だと思った。生き方というのは、常に理想と現実の間に立っている状態であって、叶わない理想は無いものと等しく扱われてしまう。



けれど、ストーリーには何か理想を持つ主人公がいなければ成り立たない。映画でもドラマでもアニメでも大抵はそう作られている。最近見た言葉で印象に残ったものがある。




「映画やアニメでも、みんな同じものを見て感動したり、共感する気持ちがあるのに、現実ではそんなものが一切ない。それは悲しいことだね。」




そんな内容だったと思う。素晴らしいものを見ても、「それは誰かが作った演出された理想で、現実とは違うんだ」と切り捨てる人が多いのかも知れない。自分の場合は、そういう理想を信じて突き進んでしまうようなところがあるんだと思う。それが良いのか危険なのかは分からないけど。



続きに杉崎の語りがあるので引用。




「春に彼女に出会えてよかった。彼女に出会わなければ、俺は前を向かなかった」


「夏に彼女に出会えてよかった。彼女に出会わなければ、俺は腑抜けたままだった」


「秋に彼女に出会えてよかった。彼女に出会わなければ、俺は人知れず潰れていた」


「冬に彼女に出会えてよかった。彼女に出会わなければ、俺は強さをはき違えていた」




そのあとで杉崎は、「女の子の笑顔のためなら何でもがんばれる」と言うのだけど、それがどこか自分と重なって見えた。ここで言う彼女に、今まで出会った誰かを当てはめて考えてしまう。



結婚してしまった前の職場の女の子や、愛花の中の人の早見ちゃんや、上京後のバイト先で一緒だった女の子や…、もっと前だと一番最初の会社で色々教えてもらった女性とか、初めてのバイト先の年上の女性とか…。



きっと今の自分があるのもそんな多くの出会いのおかげなのだし、そういう全ての人たちを幸せにするために生きるのが自分のありたい姿なんだと思う。それがストーリーの傍観者側ではなく、自分が主人公でなければ叶えられない理想で、それを現実にしていくのが今の自分の物語なんだと思う。