karin: January 2011アーカイブ



自画自賛するわけではないけれど、デザインの才能を評価してくれる人が意外と多い。自分自身は逆に才能がないと感じていて、暇があれば本を読んで勉強している程度だし独立しようと思ってる今だって才能に自信はない。



上京後、最初の会社では「百人に一人の逸材」と評され、出入りしていたフリーランスの人からは「すぐにでも独立できる」と太鼓判を押された。仕事を頼んでくる代理店からも信頼されていたと思う。けれど、自信もないので特にその言葉を間に受けてはなかった。



今の会社では、何故か社長から「お前は才能がある」とやたらべた褒めされている。デザインを多数決すると女性から好まれてるという結果が多く、営業や企画の女の子から仕事を振られることがよくある。



独立は自分に才能があるからすると言うより、自分を信じてくれた誰かを信じることに近い。明日何が起こるか誰にも分からないし、成功するかどうかも誰にも分からない。




自信がないことが犠牲を生むとは知らなかった。



これまで生きてきた中で自信を持つための経験ってあまりなかった。例えば誰かに認められること、彼女さえいれば自分に自信が持てると信じていたことがあった。しかし、その機会もないまま常に自分に自信がもてない状況は続いた。



仕事に対する自信と言えば、それなりに働いているし評価もされている。これは自信がないゆえに他人よりも本を読んだり学ぶ機会を増やしているからだと思っている。だから、仕事で自信が持てたという実感はない。



けれど、他人の仕事を見て『自分の方が絶対に良いものができる』と無駄に吹っ掛ける癖がある。それを見て、前の会社の女の子からは『内心では自信があるけど、それを隠してる』と評されたんだろう。



今の自分は自信がないから、今の会社の今のポジションにいると思っていて、要はそのことで犠牲になる人もいるのかなと考えた。



例えば高い能力があったとしても、それを押し殺していたら低い能力だけの人の出番がなくなる。より良い環境は低い能力の人に対して育てることをしていかなければ、全体のポテンシャルは上がらない。



高い能力があるとしたら、自信を持って行動していかなければいけない。そうすることで、多少は全体の仕事量が増えてくるのではないかと思う。今は高い能力の人がその人にしかできないことをやらない。保守的な考えで、誰にでも出来ることしかやらない。そんな安定志向の結果、犠牲になって仕事がなくなる人が出てくる。



自分は決して高い能力を持っているわけでも、特に自信があるわけでもないけれど、下の世代に対しては何か与えていかないといけないと感じている。だから、まずは自信を持つこと。それを信じて行動すること。



そうやって人生に目的や意義を見出さなければ、何1つ達成することなんて出来ない。お金を抱えて死ぬことなんて意味はないのだから、自分の全財産と生涯を社会に投資していこう。それが今の自分が自信を持てる機会かもしれない。