旅行日和
「わたしがこれやるから、終わったら手伝ってもらうから」
こう言われて会社の女の子に仕事を頼まれた。彼女はそのまま仕事に没頭し黙々と作業をこなしていた。自分も構ってられるほど暇ではなく、手元の仕事を片付けていた。それから、数時間が経って彼女から声をかけてきた。
「さっきは手伝ってもらう予定だったけど、忙しそうならわたしが全部やる?」
「大丈夫だよ、手伝うから」
「わかった」
そう言って席に戻り、また仕事を進める彼女。それからさらに数時間が経って、彼女の様子を伺いに行く。すると手伝う予定だったことまで手を付け始めていて、彼女に言う。
「あれ?もしかして、そこまでやってる?」
「うん」
そう笑顔で頷く彼女。考えるような間を置くと、不自然そうに首を傾けて次の言葉を待ってる様子を見せる。そんな彼女に言う。
「手伝おうかなって思ってたのに…」
「あ、大丈夫よ」
そう言うとモニターに向き直って、また仕事を進め始めた。進行状況を聞くと、間に合うから平気とだけ返事があった。そんな、彼女の後ろ姿に声をかける。
「それじゃ、お昼に行ってくるけど…」
「いってらっしゃい」
「大丈夫?」
「平気、平気」
そう言いながら、全く振り向く素振りも見せない彼女を不安に思い、後ろに立って作業を見ていた。数分か、数分にも満たないくらいの時間、彼女がキーボードを叩く音を聞いてから、独り言のようにシリアスなトーンで呟く。
「俺って、そんなに頼りないかな…」
仕事に対して、そして男としての『頼りがい』を彼女がどう思うか聞いてみたかった。けれど、彼女は向き直る寸前の姿勢で止まり、モニターから目を離さないようにして答える。
「ごめんね、今そういう話できない」
「あ、うん…」
「でも、そんなんじゃ全然ないから」
悪意があったわけじゃないことを簡潔に伝えてから、彼女は話す意思がないかのようにモニターに向き直って仕事を進めた。
「そっか…」
気のない返事をして、お昼に出掛ける準備をして彼女の席を通り過ぎると「待って!」と彼女が大きく叫んだ。振り向くと、彼女がデスクの横から顔だけ出して言う。
「あのさ、おにぎり買ってきてくれない?」
「おにぎり?」
「そう」
「コンビニの、とかで良いの?」
「うん」
「好きなものとか…」
「ほんとに何でも良いよ、任せる」
「少し遅くなると思うけど…平気?」
ウンと頷く彼女。話を横で聞いていた上司が、話に割り込むように言う。
「今からコンビニ行くけど、ついでに買ってこようか?」
彼女は戸惑うように2人の顔を見比べ、迷うような素振りを見せる。そして、こちらの目を真っ直ぐに見てきて言う。
「お願いしても、良い?」
こうして彼女に『おつかい』を頼まれた。普段は一度も頼まれたことがないし、『頼りにしてる』という気持ちを表現するための行動なんだと思う。なかなか、人の扱いが上手い。
それから彼女のおつかいを済ませて戻ると、彼女はまだ仕事をしていて、間に合わないと感じたのか彼女が頼りにする上司に手伝ってもらっていた。その瞬間を見てしまい、間の悪い自分がとても嫌になる。
そうなるなら、最初から手伝ったのに…
そう心で呟きながら、「買ってきたよ」と明るい声でおにぎりと差し入れを彼女に渡した。
そんなことが起きて、彼女との間にある溝だけが徐々に深くなり、彼女は信頼する上司だけを頼りにするようになった。彼女のことは好きなんだけど、彼女の眼中にない自分。このまま彼女は自分の知らない相手と恋愛し、結婚してしまうのだろう…。そんな想像が容易にできてしまう。
すこし溜め息をついてモニターを見るともなく眺めていると、何気ない周囲の雑談から彼女が話題を振ってきて言う。
「キミって繊細だよね」
そうだね、なんて勝手に同調する上司。
繊細なんかじゃなく、それは『彼女のことが好きだから』
そういうことにすら気付いてもらえないみたいだ。
それと、彼女はお昼のおつかい代金を払ってないことにも気付いてない…。そんな思いを残しつつ、彼女は遅めの夏季休暇を使って旅行に出掛ける。
8月中はもう会えない。
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